嵐の日曜日。
なんとなくテレビをつけてみたら、マスターズリーグの試合をやっていた。
マスターズリーグとは、現役を引退した元プロ野球選手たちがチームを組んで試合をするリーグのことで、このように地味ながらもテレビ中継はある。
実況アナウンサーも元局アナが多く、定年退職したアナウンサーの方々が、変わらない元気な声で実況している。
今日は、解説者を置かないスタイルの放送であった。実況は、石川顕アナウンサー。石川アナといえば、知る人ぞ知る実況アナウンサーで、定年近くには「実況アナの殿堂入り」などとも松下賢治アナウンサーなどに言われているぐらい、野球実況の大ベテランだったが、5年ほど前に定年を迎え、その後はあまり声を聞くことができなくなっていた。
その放送の最後の方で、石川アナは、実況人生の達観とも言えるような言葉を残した。
その言葉を聴いてからハッと思ったので、細部までは覚えていないが、おおむねこのような内容だったと思う(間違っていたらごめんなさい)。
「ほんの少し前から、野球というものを、広く見る(大きく捉えるだったか)ようになって来ました。
年なんでしょうかね。
それから、これだけ実況を長くやってきて、最近は、あまり喋らなくなりましたね。
叫ばなくなった。
TBSを退社して、テレビやラジオで野球の試合を見るとか聞く機会が増えたのですが、日本のアナウンサーは喋りすぎです。
黙るときは黙って、試合のポイントのところだけ喋る。それがいい実況なんじゃないかと、最近、気付いたんです。
正直言いますと、それに気付いたのは、去年ぐらいなんですよ。
それを考えると、日本のアナウンサーの定年は早すぎます。
アメリカでは、80歳、90歳でも現役で実況をやっている人がいるのは、そこらへんのことがあるからじゃないか、と思いますよ。
日本が外国に比べて遅れている点ですね。」
この言葉で、私は震えた。
たしかに、今の日本の実況アナウンサーは喋りすぎである。叫びすぎである。
若いうちは、自分は喋れるぞ、目の前のことを全部伝えなくてはなどという思いから、全てのことを全部喋ろうとするのだが、年をとるにつれて、筈舌が多少悪くなるのと引換えに、伝える物事の取捨選択が頭の中で出来るようになり、喋る言葉は少ないはずなのに、情報量はかえって多いし、無駄を省いているので聴いている方もわかりやすく、うるさくなくなる。
しかし、最近の実況アナウンサーを見ていると、とくに民放では、実況をするアナウンサーは若手が多い(こちらを参照)。それ自体は悪くないのだが、味のある実況が聞きにくくなっているのは確かだ。
忘れられない実況というのがある。
といっても、正確な日時までは覚えておらず、1988年ごろではなかったかと思うが、巨人対中日戦で落合選手がホームランを放ったときの実況。
「打ちました落合選手の第○号ホームラン。」
それだけだが、この口調が普通の喋り方だったのでびっくりしたのである。
普通なら「打ったー!」「大きい大きい!」「入ったー!ホームラーン!!」ぐらいは言うものだと思っていたが、どうも日本テレビの実況に毒されていたようである(尊敬する小川光明アナウンサーは別)。
今考えると、なんとも事実を正確に捉えた味のある実況ではないかと、思い出すたびに感慨に浸っている。
おそらく、実況は西田善夫アナウンサーだったと思われる。
石川アナウンサーのお言葉には、「我が意を得たり」という心境です。
叫び過ぎの実況はメリハリがなく、本当に素晴らしい場面の高揚感を奪いますね。
もっとシンプルに、もっと抑制した実況が必要でしょう。
それができないくらいなら、いっそ副音声は「会場音のみ」としてくれた方がありがたいなあ、と思う今日この頃です。
Posted by: 二 at 2007年01月08日 12:30石川アナウンサーのお言葉には、「我が意を得たり」という心境です。
叫び過ぎの実況はメリハリがなく、本当に素晴らしい場面の高揚感を奪いますね。
もっとシンプルに、もっと抑制した実況が必要でしょう。
それができないくらいなら、いっそ副音声は「会場音のみ」としてくれた方がありがたいなあ、と思う今日この頃です。
Posted by: 二 at 2007年01月08日 12:30