昨日後輩とファミレスで話していて考えたことを一つ。
刑法で、法定的符合説という説があります。
例えば、イヤミがピストルでA(おそ松)を狙って撃ち、見事死んだと思ったら、それは実は6つ子の弟のB(トド松)だったとします。
この時イヤミは、「Aを撃とうとしておそ松(A)が死んだならわかるざんすけど、結果的にトド松(B)を撃ったんだからBに対する故意はないじゃないざんすか、せいぜい過失致死ざんしょ、シェー!」と主張することでしょう。
ところが法定的符合説によれば、「認識した内容と発生した事実とが法定の構成要件の範囲内で符合しているかぎり故意は阻却されない」、つまり、およそ人(おそ松)を殺そうとして人(トド松)を殺した以上、イヤミは「人」に対する殺人の故意があると言えるのです。
ここで話は終わりではありません。
故事で「五十歩百歩」というものがあります。内容的にはこんな感じのエピソードですが、なんとなく法定的符合説に似てるような気がします。そこで思い出したのがガッツ伝説です。実は、私の出身高校では「伝説の先生K」がいました。そのエピソードから一つ。
「K先生は、附属中学の修学旅行で京都に行った際、立て看板に『コイのえさ50円』と書いてあったので、池に50円玉を投げ込んだ」
というのが、もうかれこれ10年ぐらい前から伝説になっていました。ところが、「最驚!ガッツ伝説」を見てみると、
「ガッツは、立て看板に『鯉のえさ100円』と書いてあったので、池に100円玉を投げ込んだ」
と書いてあるではありませんか。これをさっき紹介した孟子と恵王の会話にあてはめますと、
孟子「両者とも『コイのえさは…円』という立て看板を見て、
K先生は50円を投げ、ガッツは100円を投げました。
K先生はガッツに向って、
『オレより50円分多く投げたんだから、お前の方がバカだ』といって笑ったといたしましょう。
いかかです、王よ!」
恵王「いやはや、ばかげたことよ、
50円も100円も、日本国の貨幣に変りはないではないか。」
こう考えれば、ややこしい法定的符合説もわかりやすくなって、故事についても理解が深まる…
ますますややこしくなったというご批判は受け付けません。